秘羅禧  鎮守の杜

 この計画では荒廃した都市生活の積み上げられた箱の中で成長する子供たちのために、両親が且つて体験したに違いない故郷の「鎮守の森」の擬似的な趣を再構築する試みが為されました。
 その為に外部は深い森の佇まいを、内部は子供たちが、伝統的な集団の成長儀礼の構造の中に見られる、成長に伴う試練と克服の過程を体験できるように構成されました。

 かつて伝統的な共同体では、日常の生活空間の限られた範囲内の聖地として、鎮守の森と社が所在し、歳時の祭りや折節の儀式の場の働きを果たし、厳しい自然と人間の社会との間の仲立ちの役割を果たしていました。
 季節の変わり目は共同体の新しい生活のリズムの始まりを、人生の節目はひとびとの新しい成熟の段階の始まりを予感させます。
 この変化期の不安を乗り越え、連帯を固め、心構えを鼓舞するために、通過儀礼と呼ばれる祝祭や儀礼が行われ、森の佇まいとともに独自の文化的景観を育ててきました。
 通過儀礼は、人間の成長の過程での節目節目を確認する儀式で、現状から離脱する儀礼、過渡を移行する儀礼、新しい状態へ参入する儀礼の三段階から成り立っていて、その繰り返しによって共同体の生命の意志を伝え語らせるという働きの構造を保っています。

 誕生祝い、成人式、入学式、組織への入会式、表彰式、葬式等は、多かれ少なかれ「通過儀礼」の側面を持ち日常の生活に溶け込んでいます。
 そして「通過儀礼」によって新しい段階を迎えという事は、同時に旧い段階を捨て去る事を意味し,蛇が衣の脱皮を繰り返しながら成長して行くように、それは「死と再生」のなかに「活性化された命」 を望む儀式なのです。

 森は、共同体のひとびとの喜びや悲しみを見守り、生命の誕生や死の記憶を刻み付けて、天と地、聖性と邪悪を含む、自己完結的な小宇宙の趣を深めてゆきます。
 生まれ出るところと、生きるところと、滅するところに包まれた伝統的共同体は、命の波の寄せ返しの中で、それ自体が生き物の意志を持ち始めます。

 この様なアニミズムの世界では、命は個別的のものではなくて、永遠の繰り返しとして捉えられていましたが、所謂ヒュマニズムに基づく個人主義の現代では、個人という単位がそれぞれの自意識の中で生きています。
 その分われわれを取り囲む象徴性を失った世界は、抽象的で物理的構築物に過ぎなくなり、もはや死は飽くまでも個別的なものであり、命の永遠性は失われ、我々は絶望的な終末に向かって孤独に歩むほかはありません。
 近代化は街の中にも点在していた「杜の森」という文化の核を喪失させ、故郷を離れて都市生活を営む人々の文化の伝承を断ち切り、われわれに続く世代はもはや、伝統的共同体の饗応する生命の体験を実感することは出来ません。 
 再び限りある命の中で、その恩寵を全身で享受するためには、伝統的枠組みに基づいて象徴の原型を人為的に建築の中に再構築する事が、唯一の残された手段なのです。

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